掌編・短編小説

[6分で読める] 化学部には客が来ない [短編小説]

 ←[4分で読める] ノーネクタイの男 [短編小説] →「私たちの○○教は平和を愛する宗教です」とかほざくやつは信用できない
「お客さん、全然来ないねー」

「来ないねー」

 香川瑠衣は丸椅子に腰を下ろし、すべすべとした黒い机の上で頬杖をついていた。左肘がひんやりと冷たい。目の前にはレモンが一個置いてある。

「何で来ないんだろーねー」

「何でだろうねー」

 瑠衣は左手に頰を乗せたまま、ちらと視線を右に向けた。教室の前方。適当におうむ返しを繰り返し、やはり瑠衣と同じようにぼうっとしている前橋隆がそこにいた。椅子に座り、教壇に突っ伏している。瑠衣たち普通の高校生には珍しい白衣姿だ。

 教室の外は、音と色が混ざり合い、雑多にわめき合っている。

 どこかからかくぐもったリズムと嬌声が響いてきた。講堂で、ライブでもやっているのだろう。激しい曲調、ときたまシャウト。瑠衣の知らない曲だった。ぜんぜん興味がわかない。なんであんなので盛り上がれるんだろ。なにがそんなに楽しいんだろ。ていうか、なんかだるい。

「客寄せとかに行ったりしないのー」

「行ったりしないー」

「なんでー」

「めんどいからー」

 それでいいのか化学部部長、と思わなくもない。

 右手を伸ばし、実験台上のレモンをつかむ。冷蔵庫から取り出したばかりなので、掌がヒヤっとする。冷たいレモンって、酸っぱさが増してそう。思い切りかじって見たい気もする。口を開けてレモンの黄色い曲面に歯を立てる。思いっきり歯を立てる。ガリっ。爽やかな香気がブワッと広がり、口から鼻へと突き抜ける。冷たい透明な汁が果皮から滲み、歯を伝う。舌にキリリと刺激を残して、喉に流れる。くん、と飲み干す。

 まあ、かじらないけど。実験道具だし。想像だけで、口がすぼんだ。

「やっぱりあれかなー」

「あれだねー」

「パンフかなー」

「パンフだろうねー」

 前橋隆は、のそりと上体を起こした。教壇にポンと置かれていた青い表紙の小冊子に手を伸ばす。あくびをしながら、パラパラめくる。パフと閉じる。

「やっぱり載ってない」

 瑠衣のパンフも、隆が言った通りだった。化学部の出し物が記載されていないのだ。

 当然、化学部は文化祭の出し物申請について、正規の手続きを踏んでいた。実行委員会の了承も得ている。パンフ用の紹介シートも隆が作成し、委員会に手渡ししたと言っている。それなのになぜか、化学部のページだけが抜けている。いや、化学部だけなのかどうかはわからない。他にも、申請したにも関わらず載ってない部活があるかもしれない。

 まあ、とにかく、これは実行委員会の不手際なのだろう。この手落ちのお陰で、在学生はおろか一般のお客さんも、ここ化学実験室で開催されている化学部の出し物の存在に気づいていないはずだ。

 ただ今のところ、弱小部だし、部長があんまりやる気ないので、ま、誰も来なくてもいっか、という雰囲気にはなっている。文化祭のための準備も実験器具と材料を用意しただけ。レモン電池とスライムとスーパーボールとつかめる水。この実験室の入り口に看板だけ設置されているが、白い模造紙に「化学部こちら」と書かれただけの簡素なもの。室内の装飾は皆無。利便性と安全性に考慮されたいつも通りの化学実験室。実験説明書なんかもない。部長の頭の中にはあるらしい。

 あ、曲が終わった。拍手と歓声。次は知ってる曲かな。どうでもいいけど。

 廊下の向こうからは再びざわめきが聞こえて来る。四組のお化け屋敷へどうぞー、写真の展示やってまーす、くつろいでいきませんかー、八組の映画はこちらでーす。張り切った声の客寄せに交じって、ときたま馬鹿笑いが起こる。そうかそうかそんなに楽しいのか。子供も生徒も大はしゃぎだ。

「でもさー、」

 瑠衣は言いながら開け放っているドアの方を見た。実は全く客の姿が見えないこともない。たまーに、ちらちらと人影が見えるのだ。多分、校内を彷徨いているうちにたまたま化学実験室の前までたどり着いたのだろう。

「すぐそこまで来てるお客さんもいるのに、なんで入って来ないんだろうねー」

「なんでだろうねー」

 隆は教壇の上に組んだ腕を載せ、そのうえに顎を載せて瑠衣の方をぼんやりと見ている。

「部長にやる気があるように見えないからかなー」

「見えないからかもねー」

 分厚い、黒いカーテンは閉まっている。外の様子は見えない。あの方角。思考は自分の家へと飛んだ。ああ、早く終わらないかな。帰りたい。ベッドに転がりたい。ベットに乗ってドロドロになりたい。文化祭なんてやりたい人だけがやればいい。横になって、ただ外から眺めていたい。でも、まだ身体はここにいる。硬い丸椅子に座っている。机に頬杖ついている。ぬるくなったレモンを弄んでいる。

「あのー、すみません」

 ハキハキとした声。誰か来た。ドアを見る。私服の、大学生っぽい男性が突っ立っていた。黒い、縁の厚い眼鏡をかけている。

「はい、どうぞ」

 隆は、さっきまでのだらけ具合はどこへやら、立ち上がりテキパキと来客対応を始めた。にこやかなスマイルまで浮かべている。さすがだ、化学部部長。

 瑠衣も背筋を伸ばした。伸ばしただけで何もしない。椅子に座ったまま、ただ身体をよじり、目線だけは男と隆の方を向いている。

 初めての客。開始から一時間くらいは経っている。ここまで客が来ないと、男は一体何しにここにやって来たのだろう、と疑問に思ってしまう。いや、多分出し物である化学実験に興味があって来たんだろうけれども。

 隆の流暢なレクチャーの元、男はレモン電池を完成させた。大学生にとってこの実験は簡単すぎるのでは? と瑠衣は思った。でも、男は笑顔を浮かべているので、きっと満足しているのだろう。その笑顔を見て、その瞬間だけ、瑠衣の心は少し軽くなる。立ち去り際、男はスッと自分のパンフを部長に差し出した。

「お願いします」

 なんのことだろう、と一瞬思ったが、隆が取り出したものを見て合点がいった。

 伊那部高校文化祭には、毎年恒例の行事、スタンプラリーがある。各部やクラスの出し物を周り、スタンプを集めるのだ。集めた数に応じて、ささやかな景品が実行委員会から貰えるらしい。

 隆にポンとスタンプを押してもらった男は、礼を言い、入り口から出ていった。

 と、思いきやヌッとドアから顔を出し、こう尋ねた。眼鏡が光った気がした。

「こちらの部員さんはお二人だけですか?」

 隆が答える。

「部員は僕だけです。そこの、彼女はお客さんです」

「そうですか。他には部員はいない、お一人だけ?」

「――いえ。確かもう一人いた気がしますが、部活動に参加しているわけではないので、幽霊部員ですね」

「ご丁寧にありがとうございます」

 男が頭を引っ込めた。

 と、思いきや、再びヌッと現れた。

「なんか、卵の腐ったような匂いがしますが、大丈夫ですか?」

「ご心配なく。腐った卵の匂いです」

 男は今度こそ去っていった。

 瑠衣はすんすんと鼻を動かした。何も臭わない。ていうか、鼻が詰まっていて、うまく息できない。

「変な匂いしてるのー?」

「うん、朝からね」

 なんともない様子で隆は答えた。

「昨晩は何もなかったはずなんだけど、朝、来てみたら腐った卵が入り口前の廊下に置いてあった。その匂いがまだ残ってるんだと思う」

 うえー、腐った卵置いてくとか何がしたいんだ、その犯人は。

「あ。だから人が入って来ないのかなー。変な匂いするから。ねー、これってもしかして嫌がらせじゃない?」

「わからない。あるいは、これは実行委員会の仕業かもしれない」

「なんで、実行委員会がそんなことするのー?」

「さあ。化学部に客が来て欲しくないのかもね」

 隆は肩をすくめた。

 瑠衣は伸ばしていた背筋を屈め、もう一度すんすんと匂いを嗅ぐ。何も匂わない。

 時計を見る。そろそろ時間だった。クラスの手伝いに行かないといけない。とたん身体が重くなった気がした。

 最後にもう一度、レモンに触れる。触感でまだ瑞々しいレモンを味わう。なぜかわからない。だけど、今日はレモンに触れていたい。

 ひとつため息をついて、瑠衣は椅子から立ち上がった。


関連記事
スポンサーサイト


  • 【[4分で読める] ノーネクタイの男 [短編小説]】へ
  • 【「私たちの○○教は平和を愛する宗教です」とかほざくやつは信用できない】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【[4分で読める] ノーネクタイの男 [短編小説]】へ
  • 【「私たちの○○教は平和を愛する宗教です」とかほざくやつは信用できない】へ