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掌編・短編小説

[20分で読める] 怪盗、本屋さんに現る [短編小説]

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1.侵入

 むせかえるような緑、肌にまとわりつく湿気の中を、浪坂は走っていた。光は枝葉に遮られ、あたりは暗い。おまけに霧らしきものまで出てきている。視界は最悪。突然目の前に広葉樹が現れ、行く手を阻む。ゴツゴツした幹に手をついて回避するとともに、浪坂は再び走り出す。

 方角だけはわかっている。目印があるとも聞いている。このまま行けば目的地にはたどり着けるはずだ。

 いくつかの樹を身をよじって避けながら、浪坂は考える。

 一体誰だ? こんな樹海の奥に古書店なんか作りやがったやつは――。

 プロの泥棒として腕を鳴らしている浪坂は、これまで数々の難所に潜入してきた過去がある。こんなところに何もあるはずがない、と思えるような辺鄙な場所にお宝が隠されていたこともある。隠しておきたいものは、往々にして人目につかない場所に置くものだ。素人ならそうする。

 しかし、こんな道すらないような森林に、泥棒以外の誰が分け入るというのだろう。いや、普通の泥棒ならこんな場所に何かがあるとは考えない。浪坂だって依頼を受けなければ、信じられなかった。人の訪れない地にぽつんと佇む一軒の古書店が、人類にとって非常に重大な「ログ」を保管しているなどという噂を。

 足を止める。

 少し開けた場所に出ていた。半径五メートル以内に樹はおろか草も生えていない。霧に阻まれるも、ここだけぼんやりと陽の光が差している。むき出しの地面は湿っていて、踏みしめれば簡単に足跡が残せる。

 浪坂の視線の先には、その地面の中央に描かれた奇妙な紋章があった。木の枝で描かれたのだろうか、雨が降ればすぐにでも消えてしまいそうなそれは、三角形と逆三角形を重ねたような形をしていた。

 ――これが噂の六芒星ってやつか。

 これが探していた目印だとは、浪坂は信じられないでいた。こんなお粗末なモノがこれまでずっと残ってきたはずがない。しかし、同時に、こんな酔狂な場所に何度も六芒星を描くバカがいるとも思えない。何か理由があるはずだ。そしてその理由こそが――。

 浪坂は目を細めて辺りを見回した。

 ――あれか。

 木々の奥、ぼうっと明かりがともっている箇所がある。自然の発光とは思えない。きっとあの光が古書店へと導いてくれるのだろう。浪坂は確信した。

 霧はまだ濃い。今にも消えてしまいそうな橙色に瞬く光の方へと、浪坂は歩いて行った。



 罠だ、という思いは最初からあった。あの電話を受け取ったときからだ。

 はいこちら浪坂探偵事務所です、という声に覆いかぶせてきたのは、与党の重鎮、とある代議士だった。

「君が、浪坂本人か?」

 浪坂はこの声だけで、相手の素性を把握していた。

「そうですよ、陣内サン」

「名乗りもしていないのに、もうバレてしまったのか」

「御用件は? 表ですか、それとも裏ですか?」

 表は探偵事務所としての仕事、裏は泥棒稼業を意味している。しかし、陣内はそれには直接答えなかった。

「『ログ』というものについてはどこまで知っている?」

「有名な都市伝説ですね。あらゆる時代の、あらゆる人物の一生の記録が載っているという書物のことでしょう? それが依頼に関係あるんですか?」

「その『ログ』が実在していると言ったら、君はどう思う?」

「陣内サンも冗談がお好きなんだな、と」

「そうか」

 それきり陣内は黙ってしまった。数秒のことである。

「まさか、本当にそんなモノがあるとでも? そしてそれを奪ってこいなんて言うんじゃないでしょうね?」

「――その通りだと言ったら?」

「あいにく冷やかしは間に合っているので」

「多忙な俺にそんな暇があるとでも?」

「――マジなんですか」

「ああ、マジだ」

 陣内の口調から、彼の依頼が本物だという確信は得ていた。しかし、はいそうですか、と鵜呑みにできる話ではない。

「私を嵌めるおつもりですか?」

「俺に君を陥れようなどという考えはないよ。――あいつはどうか知らんが」

「あいつ?」

「『ログ』を保持しているのは『儀書堂』という古書店らしい。あいつとは、その店主のことだよ」

「なんだ、『ログ』の保持者とお知り合いなんですか。それなら直接頼めばいいのでは? 『ログ』をくれと」

「なあ、俺がわざわざお前にこうやって依頼をしていることの意味を考えてくれないか」

 君、から、お前にランクが下がってしまった。

「――事情は聞かせてはくれないんですね」

「俺が言えるのは『儀書堂』への行き方だけだ。それ以外の確かな情報を俺は持っていない。あとはお前が自分で調べてくれ」

「はあ、なんというか、曖昧模糊、実体がないですね」

 気でも狂ったか老いぼれめ、を浪坂は精一杯オブラートに包んだ。

「報酬は弾む。たとえ失敗しても、だ」

 しかし、その後に続いた額を聞いて浪坂はやる気になった。失敗してもいいというのなら、試してみる価値は十分にある。

 依頼を受ける旨を伝えた。

「報酬がこれだけのものである意味はわかっているな? この任務が重大であるということだけではない。見積もりが不可能なほどのリスクがある」

「わかってますよ、危なくなったら手を引きますから」

「頼んだぞ、『儀書堂』への行き方については後で連絡する」

 電話はそこで切れた。



 二つの古びた街灯の間には、一本の坂道があった。昼間なのにもかかわらず、なぜかその道は暗い。まるで夜のようだ。霧深い森を抜けたと思ったら、今度は暗闇の坂。浪坂は小さくため息をついた。目標には確かに近づいているというのに。

 坂の上には、坂の入り口と同じく、ペアになった街灯がぽつりぽつりと立っている。浪坂はとりあえずそれらを目指して坂を登りはじめた。

 一歩進むごとに気が重くなる。重力にあらがって上に向かって進んでいることがバカらしくなってくる。この坂の雰囲気のせいだろうか、ネガティブな考えばかりが頭を支配する。足がだんだん上がらなくなる。

 と、浪坂は坂の途中で足を止めた。人影を確認したのだ。

 坂の上にいる。街灯に照らされ、長く黒い影が伸びている。その人物は着物を着ているようだが、表情はここからでは見えない。暗いし、遠すぎる。

 ――女か?

 なんとなく、浪坂はそう思った。その佇まいの線の細さがそう思わせたのかもしれない。

 浪坂が再び坂を登りはじめると、すうっと女(?)は坂の奥のほうへと消えていった。

 あれが店主だろうか。そうかもしれない。こんなところに女が一人で来るはずがない。

 立ち止まりそうになる足と心を叱咤し、浪坂は坂の上までなんとかたどり着いた。

 目の前には、一軒の平屋の古民家があった。

 あまり大きくはない。玄関らしき場所には木でできた引き戸がある。部屋に面している壁面にはガラス戸がはめられており、そこから中の様子が覗けそうだった。部屋は暗く、家から明かりは一切漏れてはいない。

 浪坂はすすっと足音を立てずにガラス戸に近寄り、部屋の様子を覗いた。しかし、そこには伽藍とした空間が広がっているだけで、なにもない。本当に何も見えなかった。ただ暗闇だけがその部屋の深さを体現しているようで、浪坂は少し身体を震わせた。

 ――ここが「儀書堂」だろうか?

 浪坂は訝しんだ。書店らしき面影はそこにはない。部屋は暗闇。場所を間違えたのだろうか。いや、それはないはず――。

 あれこれと考えていると、ハッと陣内の助言が脳裏によぎった。

 確か「儀書堂」は、「儀書堂」を必要としているものにのみ開かれるのではなかったか。誰でもが見つけられるものではない、と陣内の記した行き方には書かれてあった。

「儀書堂」の存在が一部の人間に知られているのは、実際にそこに出入りした客がいたからだ。しかし、その客たちは「儀書堂」を目指していたのではなく、何か別に探し求めているものがあり彷徨っていたのだという。それで樹海を彷徨うとは、おそらく死ぬつもりだったのだろう。死を賭しても得たいものが、「儀書堂」にはあるのだろうか。

 今の浪坂は「儀書堂」に用があるとはいえ、その用件は甚だ不埒なものである。なにせ盗みを働くつもりで来たのだ。これでは「儀書堂」に認めてもらえるはずもない。

 しかし、やりようはある。

 浪坂は目をつぶり、精神の統一を始めた。



 浪坂がその特異な能力を手に入れた経緯には、彼の生い立ちが深く関わっている。

 浪坂は三人兄弟の一番下だった。兄と姉が一人ずつ、浪坂は二男として生まれた。

 浪坂が覚えている限り、小さい時から、両親の覚えは目出度くなかった。相手にされないことが度々あったのである。両親の関心は常に兄と姉に向いていた。浪坂はしばしばその存在を無視された。

 原因はよくわからない。両親の不仲かもしれないし、優秀な兄や姉と比較すると劣ってしまう自身の能力のせいかもしれない。浪坂は親の興味を引こうと懸命に努力した。勉強も運動もがんばったし、友達もたくさん作った。それでも、親は浪坂のことを見向きもしなかった。話も聞いてくれない。理由を問うても答えてはくれなかった。

 そんなある日のこと、浪坂が小学校低学年のころだったろうか。一度、兄の振る舞いを真似してみたことがある。浪坂はこう思ったのだ。自分が兄になりきれば、父も母も振り向いてくれるだろう、と。

 兄の服を勝手に着た。兄のランドセルを借り、兄の机を支配した。兄になりきって机に向かって一心にノートに漢字を書き写した。兄は友達と遊びに行っている。夕方になるまでは帰ってこない。だから、母は子供部屋にふらっと立ち寄ったとき、とても驚いていた。

「あら、どうしたの。もう帰ってきちゃったの?」

 浪坂は内心動揺しながらも、声をかけられたことに有頂天になってしまい、母の方を向いて答えたのだった。

「うん、友達が用事があるからって」

 母は、そうなの、と言って、部屋から去っていった。と思いきや、お菓子を持って再び現れた。浪坂は目を丸くした。

「じゃあ、今日は一緒にお菓子を食べましょう」

 子供部屋の床に置かれた小さな丸テーブルに並んで座り、クッキーを食べ、ジュースを飲んだ。浪坂は兄の行動を頭の中でトレースしながら、母とおしゃべりをした。

 楽しかった。

 母は完全に浪坂を兄と勘違いしていた。夕方に本当の兄が家に帰ってくると、母はまたも驚いた。兄に事情を尋ねるも、要領を得ない。しかし、昼に一緒にお菓子を食べた兄が本当は弟の浪坂であったなど、まったく考えが及ばなかったらしい。その日の一件はやがて母には忘れ去られてしまった。

 浪坂は、この件で己の能力に薄々ながら気づいた。兄と自分は似ているとはいえ、親をだますことができた。もし、知らない他人をだますのであれば、もっと簡単だろう。

 別人になりすます。

 これが、浪坂が身につけた能力である。その後も磨きをかけていき、泥棒稼業の根幹を形成することになるとは、このときの浪坂は思いもしなかった。



 浪坂は今、以前調査の際に出会った一人の「儀書堂」の客に完全になりすましていた。死ぬつもりで森に入り、あるものを心の底から欲している。心に思い描くのは、この世に対する未練。どうか、ソレを見つけたい。ソレがありさえすれば、この地獄から逃れることができ、家族を見捨てずにすむ。どうか、私にソレを――。

 ゆっくりと浪坂は目を開けた。目の前にあった古民家は消え去り、代わりに古ぼけた小さな古書店が出現していた。

 看板が店の出入り口の上に出ている。

 そこには「儀書堂」と書かれていた。



2.交渉

 木で出来た引き戸は片側だけ開いていた。壁に背をつけ、頭だけで店の奥を覗き込む。暗い店内、入ってすぐのところには明かりの点ったろうそくが一本、台の上に置いてある。それで全体がぼんやりと見通すことができた。ろうそくの周りには、さすがに燃え移るような本はない。代わりにあるのは地球儀か。十個程度の地球儀が、床やろうそく近くの台に無造作に置いてある。店の両側には書物で一杯になった棚があり、収めきれなかったのだろうか、棚の前にも本が積まれている。視線をもう少し奥へとずらせば、地球儀台の向こうにも背の高い棚が狭苦しく並んでいるのが見える。人一人が通るのがやっとくらいの通路幅だ。まともに客が来るとは思えないが、何をそんなに並べているのか気になる。

 だが、今日の目的は「ログ」だ。

 陣内の話では、「ログ」がどのような形状をした書物であるのかは不明とのことだった。「儀書堂」に入ったことのある客も同様で、「ログ」の噂を耳にしたことはあっても、実際にそれを見たことはないらしい。

 探して見つかるようなものだろうか。浪坂は考える。まあ、いい。捜し当てるまで探し続けてやる。

 店内に人の気配は感じられなかった。あるいは、店の奥、書物に埋もれたカウンターの向こうのドアの先にいるのかもしれないが、わざわざ出くわすこともあるまい。問題の「ログ」が店内にない可能性もないわけではない。しかし、陣内は確実にあると言っていた。とにかく店の中を探すのが先決だ。トライしても見つからなかった場合は、仕方ない、失敗時の報酬だけ受け取ることにしよう。

 浪坂は一歩、店内へと足を踏み入れた。

 その途端、どこにひそんでいたのか、大きな蛾が一斉に浪坂の身体にまとわりついてきた。浪坂は虫嫌いである。しかし、仕事の場でそんなことも言ってられない。自身の頭の近辺にいる蛾は手ではらいのけ、浪坂は歩を進めた。

 地球儀は無視だ。浪坂の注意は書物の棚に向いていた。

 さて、「ログ」はどこにあるだろう。

 薄暗い店内で書名を読み取るのは困難であると悟り、浪坂は持っていたペンライトを口にくわえた。棚を一段一段眺めていく。

 入り口を入って右側の棚には、目ぼしいものはなさそうに見える。そこに並んでいるのは百科事典や国語辞典、よくわからない外国語の辞典ばかりだった。

 すると、本命は中央奥か、左の棚か。ライトを口に挟んだままふうっと息を吐き、一通り調べ終わった本棚に背を向けようとした、そのとき。

 狐がそこにいた。



 ペンライトに照らされたその狐は、浪坂と同じくらいの背格好をして、こちらを二つの眼でじっと見据えている。浪坂は驚きのあまり、口を開けてしまった。ライトが床に落下する。慌ててしゃがみ、ライトを取り上げ、狐のいた店の中央付近に向ける。ところが、さきほど確かにそこにいたはずの狐はすでに姿を消していた。

 見間違えか――?

 いや。

 狐に見えたのは、体格から言って人間だろう。狐面を被っていただけの。人間がそんな瞬時に姿を消せるはずがない。きっと本棚の裏にでも隠れたのだ。

 突然、気味が悪くなった。

 あいつは何の目的で、今、ここに姿を現したのだ?

 客に対応するためとは思えない。俺が泥棒だと気付いている? そうかもしれない。だとしたらなぜ、取り押さえようとしない?

 ペンライトを再び口にくわえると、浪坂は恐る恐る中央に並んでいる本棚の間を覗いて行った。

 いない。

 いない。

 いない。

 店の奥、カウンターの方にでも隠れたか?

 ライトを手に構え、唾を飲みこむ。オチオチしていると、まずいことが起こりそうな予感がした。一刻も早く「ログ」を見つけてずらかろう。

 左の本棚に取りかかった。

 手近にあった足踏み台を手繰り寄せ、それに乗り、棚の上段にライトを当てつつ書名を指でなぞっていく。

『木島日記』『木島日記 乞丐相』『死者の書』――。

 一体何の本だろう。考えながらも指は右へ右へと移動していく。

 と、突然。

 右手を掴まれた。

 またも危うく口を開けそうになるも、必死にこらえる。ライトを向けると、そこには狐面を着けた人の姿があった。着物を着た、どうやら男のようである。右手を振り払い、急ぎ踏み台から降りて、目の前の男と対峙する。

「いらっしゃいませ」

 地獄から響くような低い、がさついた声が聞こえた。どうやら狐面の男が発したらしい。声からは年齢がわからない。なにか口に覆いかぶせているのだろうか。

 浪坂は観念して、男と対話することにした。

「あなたが店主ですか?」

「いかにも。私が『儀書堂』の店主でございます」

「ちょうどいいところでした。『ログ』っていう本、知りませんかねえ」

 狐面は首をかしげた。

「さあ、『ログ』なんて書名の本はうちにはなかったと思いますが」

「そうですか。いや、知り合いは絶対ここにある、と言っていたので」

「お知り合いの方は陣内さん、でございますか」

 店主は、何もかも知っているような口ぶりでそう言った。浪坂の背中に汗が一筋流れ落ちる。やはり嵌められていたのだろうか。

「そうです。陣内サンです。この『儀書堂』に『ログ』があると」

「なるほど、そうでございましたか」

 手荒な真似はしたくなかったが、仕方ないか。右手をポケットに忍ばせる。身をかがめ、いつでも飛び出せる体勢を整える。

 ふと、右目の前を落ちていくものがあった。紙の一片のようにも見えたそれに気を取られる。視線を一瞬下にやる。床の上には蛾の死骸が横たわっていた。

 なんだ蛾が落ちただけか。

「浪坂さんがおっしゃられている『ログ』は大変重大なものでして、私、基本的にはどのようなお客様にも満足いただけるものを用意してはいるのですが、残念ながらこれだけはお渡しするわけにはまいりません」

「へえ。それでは見せてもらうことはできますか?」

「残念ですが、それも」

「――こちらとしても至極残念です、こ、ぉ」

 このような手段を取らざるをえないことを、と続けようとした。

 だが、できなかった。

 口が思うように動かない。手も足も動かせない。

 身体が、言うことを聞かない!



3.強奪

 浪坂の身体はバランスを崩した。そのまま床に崩れ落ちる。頭も腰もしたたか打った。目の前には蛾の死骸。それから店主を名乗る男の履いている草履が見える。

「が、ぁ……!?」

 必死で腕を動かし身体を支えようとするも、思うようにいかない。

「どうやら毒が回り始めたみたいですね」

 毒?

 毒蛾か?

「蛾ではございません。毒の出所はろうそくでございました」

 先ほど床に落ちていった蛾は、揮発性のろうそくの毒にやられたのか。

 店主がその場にしゃがみ込み、狐面を取って、浪坂の顔を覗き込んだ。浪坂にも見える。店主は老人のような皺を顔の至る所に寄せている。しかし、その実ずいぶんと若いのではないかと思えた。そして店主の口元には、防毒のためか、マスクが取り付けられている。

「このように忍び入る賊は後を絶ちません。そのための仕掛けをこちらで用意させていただきました。どうかこのまま安らかにお眠りなさい」

 くそっ――。

 全て御見通しってわけか!

 だがしかし、ここからどうする? ログを手に入れるには――。

 浪坂はわずかに動く足で、その近くに置いてあった台を思い切り蹴とばした。威力は全く大したことがなかった。しかし、狙いは台の上のろうそくだ。あれさえ手に入れば、まだ逆転のチャンスはある。ろうそくは台とともに揺れただけ。こちらに落ちてくる気配はない。

 今、店主は確実に油断している。ここが決め時なんだ。頼むから動いてくれ!

 店主は立ち上がり、ゆっくりと背を向け、カウンターに向かっていった。それを目で追い、少しずつ、本当に少しずつだが、右腕を動かし、ポケットに入れ、口元に持って行った。カプセルを口に含み、震える顎でそれをかみ砕く。苦みが口いっぱいに広がる。せき込むのを我慢して、飲み下す。

 ふわっと身体が軽くなった気がした。いや、気のせいではない。徐々に解毒剤が効いてきたようだ。腕が、足が、口が動く。

 店主も気配に気づいたらしい。振り返り、浪坂を再び見下ろす。

「これはこれは、用意周到なことで」

 足の筋肉に力を込める。今度は渾身の一撃を足元の台に喰らわせた。ろうそくが揺れて、落下し、床に落ちる。浪坂は腕を使って起き上がると、瞬時にろうそくのもとへと跳んで行った。落ちて火が消えかかったろうそくを燭台とともに、手につかむ。

「店、燃やしちまうぞ? 不用心だったな。毒を蔓延させるためとはいえ、ろうそくを店のなかで使うとは」

 店主の動きが止まった。しわにまみれた顔がわずかにゆがんでいるように見える。

「ほら、さっさと出せ。でなければ、今にも本棚に火がつくぞ」

 そう言って、浪坂はろうそくの火を右側の本棚に近づけた。

 ここだ。ここでトレースしろ!

 浪坂は自分に命令し、目を開いたまま精神の統一を始めた。



 店主になりきる。

 店主は浪坂の行動を止めようとする。それと同時に、絶対に失ってはならないものを心の中に思い浮かべるはずだ。

 さあ、それはなんだ?

 それはどこにある?

 その心の奥を俺に見せろ――!

 店主の目線が動いた。中央の本棚の中。ある本に視線を向ける。

 ――捉えた。

 これか。これがお前の、いや、俺の大切なモノか!

 書名は読み取れなかった。しかし、在り処はわかった。ろうそくをいつでも棚に近づけることができるよう構えたままの体勢で、浪坂は店主とにらみ合った。

「おい、いいのか? つけるぞ」

 浪坂に本当に火を点けようなどという気はない。浪坂はあくまで泥棒なのであり、放火魔とは違う。殺人や傷害など、窃盗と器物損壊以外の罪を犯す気はさらさらない。脅しはどこまで効くか――。ここが勝負の、

 痛っ。

 右手に衝撃。ろうそくを落としてしまった。すぐに火は踏み消される。気配は全くなかった。なのに、いつの間にか自分の後ろには、坂で見たあの女(?)の姿があった。顔は伏せている。しかし、髪の結い方からして女で間違いなさそうだ。

「そりゃ、お仲間の一人や二人くらいいるよなっ!」

 浪坂は駈け出した。店主には見向きもせず、大事な本の在り処を目指す。妨害が入る。腕が浪坂に伸びてくる。店主か、女か。どっちでもいい。本棚を蹴とばす。ぐらりとゆれた背の高い本棚は蹴られた勢いそのままに倒れだす。

 これで死んでくれるなよ。

 もう一人、前に立ちはだかった人物を、見もしないままに手で飛ばし、そのまま本棚の間にダイブする。

 目当ての本は――、あった。

 即座に本棚から抜き出し、懐へ。もうその頃にはすでに、浪坂は店の入り口までたどり着いていた。逃げ足だけは自信がある。浪坂の二つ目の能力だ。

 一気に坂を駆けおりる。振り返るも、追っ手の姿はなし。そのまま街灯の間を抜け、森の方へと駆けていく。これで振り切れたはず。

 ぜえぜえと息を吐き、整える。

 浪坂の懐に挟んである本には、ただ「鍵」とだけ書かれていた。



 *



「まったく。言ったでしょう、本屋にろうそくなどを持ち込んではならないと。逆に利用されたではありませんか」

 ほこりと蛾の死骸が舞う店内では、倒れた本棚の復旧作業が行われていた。反動で本棚から落ちてしまった本も大量にある。それらを一つ一つ手で埃を払いながら、棚へと戻していく。女の抗弁に、店主はのらりくらりと答える。

「いつもなら、毒ろうそくであの世行きだったんだがなあ。しぶとい奴もおるもんだ。解毒剤といい、俺の心を読み取る能力といい。いや、あれは俺になりきる能力だったかな」

「おかげで盗まれてしまったではないですか! 大事な『鍵』を! この責任、一体誰が取ると思っているのですか!?」

「まあまあ、『鍵』が盗まれたとて、騒ぎになりゃせんよ。あれは『ログ』の片割れみたいなもんだしなあ。本体の暗号部分であるあれらがないと」

 あれら、と言って店主が目を向けたのは地球儀だった。

「何を開けるのかわからない『鍵』だけあっても意味はなかろう?」

「しかし、あれで確実に数百万人分もの暗号を解くカギを失ってしまったのですよ」

「たかが数百万人。どうってことない。どうせお偉いさんもここには数百年に一回しかこんのだしな」

「はぁ」

 女は静かにため息をついた。

「それにしても、あの若造、まだ三十半ばくらいか。無事に帰れるといいなあ」

 店主の顔にしわだらけの笑みが浮かんだ。

「言うじゃろ? いきはよいよい、かえりは、ってな。店から無事に脱出できた泥棒は彼が初めてじゃて。この先、何が待ち受けておるのか、わしにもわからんよ」

 口にもうマスクはしていない。店主は歯をのぞかせた。

「生きて帰れるといいなあ」


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