[中編] 禁忌の呪文、魂の行方

[中編] 禁忌の呪文、魂の行方( 8 of 13 )

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 人間とはなんだろう……。人間であるための条件っていったいなんなんだ?
 ネロウは考えずにはいられない。
 朝日が窓から差し込んでいる。ヒコサの部屋でパレットともに夜を明かした。パレットの今後についても話し合った。真剣に検討したつもりだ。だが、それでも……。
「なあ、ホントにそれでいいのか?」
 ネロウは何度目かの問いをヒコサにぶつける。石のように動かなくなったパレットの状態を看ていたヒコサは、下に隈のできた目をぎょろりとネロウに向け、答えた。
「……あくまで次善の策だ。いつまでもパレットに指示を与え続けるわけにはいかないだろう? ネロウ、君には使命がある。その使命を果たすことが本命だよ。パレットにとっても」
 その言葉を聞き、ネロウは俯く。
 トカゲや犬の場合とは違うのだ。パレットは人間で、俺の友達で、俺の、大切な――。
 幾度も逡巡を重ねる。しかし、ネロウのくたびれきった頭からは、ヒコサの提案以上の良案は出てきそうにない。ヒコサはじっとそのときを待ってくれている。
 覚悟を決めろ、ネロウ。実行のときだ。
 ネロウは、ヒトカタと化し、今は椅子に座ってネロウの方をじっと見つめているパレットに向き合った。そしてこう命令したのだった。
「これから魔法が解けるまで、俺の命令を聞く必要はないし、従う必要もない。今夜のこと、石板のこと、魔法のことは完全に忘れて、これまでと同じように、ヒトカタになる前と同じように振る舞ってくれ」
 それまで微動だにしなかったパレットの頭がコクリと前後に動いた。
 了解の合図。
 ネロウはごくりとつばを飲み込んだ。
 さあ、これでどうなる――?
「ネロウ、ヒコサ、どうしたの? あれれ、私どうしてヒコサの部屋にいるのかしら? 全然記憶がないわ」
 きょとんとした顔で、パレットはしゃべり始めた。まるで、本当に何事もなかったかのように――。
 そんなパレットを見て、ネロウはほんの少しだけほっとした。しかし、それと同時に、心の底からパレットに対する懺悔の気持ちと自身に対する嫌悪感があふれ出てきた。
 この命令によって、(魔法自体に何も問題が生じなければ、)あくまで表面上は、パレットは普段通りに生活しているように見えることだろう。パレットの両親も彼女の身に何かが起こったなんて気づかないだろうし、エルドやジャド、ミリサのちびたちもきっと違和感を覚えたりはしない。――少なくとも、まだ数年は。
 だが、本当の問題はそこではない。パレットの振る舞いが他人にとってどのように見えるかが問題なのではないのだ。
 パレット自身の心はどうなってしまうのだ? 彼女の心は、どこに行ってしまったのだ? パレットは、今の自分自身の状況をどう感じている? いや、何も感じていないのだろうか?
 絶え間なく、理解のできないことに対する不安の念が噴出しては体中を支配していく――。
 それとも実は体の奥底にパレットの本当の心は封じ込められていて、ずっと一人で泣いていたりするのだろうか。
 見えない出口を求め、彷徨っていたりするのだろうか。
 ネロウを、激しく憎んでいたりするのだろうか。
 それならばそれでいい。パレットの心が解放されるのであれば、もうネロウは自身が憎まれたって構いはしない。パレットに拒絶されても構わない。今の偽りの、ネロウの命令にただ従うだけの人形と化したパレットよりは遥かにいい。
「どうしたの? ネロウ、なんだか元気ないね」
 ああ、パレット。
 いつものパレットだ。
 だが、違うのだ。これは幻影。ネロウの命令。パレット自身の意思ではない。仮初だ。
「ヒコサも、なんだか目が腫れてるよ。もしかして泣いてたの?」
 ヒコサの叫ぶ声が部屋中に響き渡った。
 ネロウも、もう耐えきれなかった。
 驚いているパレットの表情が次第にぼやけてにじんでいく。
 あふれた涙をせき止めることは、もはやできなくなっていた。

 心をどうにかして落ち着かせた後、ネロウとヒコサはパレットを家まで送り届けた。その間、パレットは心底心配そうに「大丈夫?」「なにかあったの?」と度々ネロウたちに問いかけていたが、何かを答えようとするたびにまたしゃべれなくなってしまった。悲しそうな表情のパレットが家の中に入ったあと、また二人で泣いた。その後、ネロウとヒコサは再び、ヒコサの部屋へと引き返してきたのだった。
「なあ、ヒコサ、あり得ないことだけど、もしかしたらだけど……。俺の命令でパレットが本当の心を取り戻したなんてことは……」
 天から垂れている細い一本の糸にすがるかのごとき可能性にかけてみる。パレットに命令に従わせるのを放棄させた時点で、実はヒトカタ化は解けてしまっているのではないか、と思い当ったのだ。
 だって、どう見ても、どう考えても、さっきのパレットはパレットのそのものだった。
 都合の悪いことを全部忘れてしまっただけの、元のパレットに戻ってしまったのではないか、という淡い期待が確かにネロウの胸の中で膨らんでいたのだ。
 振り乱した金色の髪の隙間から死んだ目だけを覗かせて、ヒコサは言い放った。
「そうだとして、それをどうやって確かめるんだ? ネロウがそう勘違いしているだけだとしたら?」
 ネロウは黙るしかなかった。
 重い沈黙が降りる。
 ヒコサはベッドに腰掛け、両手で頭を抱えていた。ネロウは椅子に座り、放心したように天井を眺めた。
 どれくらいの間そうしていただろうか。黙ったままネロウもヒコサも動かないでいる。窓の外では太陽が随分高いところまで昇っていた。ネロウの体に少しずつ、方向を変えた光が当たり始める。
 やがてネロウの中でむくむくと気力が湧き起こってきた。
「……やるよ」
 知らず、口からその言葉が出ていた。
「東の国に行って、魔法を解く方法を教えてもらって、必ず、絶対にパレットを元通りに戻して見せるから!」
 最後の方はほとんど叫びに近かった。ヒコサが顔を上げ、ネロウをじっと見つめた。ネロウは続ける。
「昨日立てた計画をそのまま実行に移す。パレットは連れて行くわけにはいかなくなった。何が起こるかわからない。あまりにも危険すぎるから。俺は行く。ああ、行くさ。ヒコサはどうする? 乗ってくれるか?」
 ヒコサは頭をガシガシとかきむしった。ハラハラと何本かの髪が落ちて行った。やがて、吹っ切れたように勢いよく立ち上がり、ネロウを見据え、右手を差し出した。
「もちろんだ!」
 ネロウはその手をがっしりと掴んだ。
 ――そのとき、奴はやってきた。

「ああ、固い友情というのはなんて美しいものなんだろうねえ」
 ぞっとした。
 ネロウとヒコサは同時に、その声のする方を見た。
 そこには、全身を覆う灰色のローブを着た一人の人間が立っていた。顔はフードに隠れて見えない。
 ヒコサの部屋の中である。ドアが開いた形跡はない。窓から? いや、窓はずっとネロウの視界に入っていた。
 こいつは何者だ? どうやって侵入してきた?
 頭に浮かぶ疑問を一旦無視し、ネロウは構えた。腰にはいつも持ち歩いている小型のナイフがある。瞬時にそれを抜き取り、侵入者に向ける。横目でチラと確認すると、ヒコサも部屋にあった護身用の長い何かを構えていた。
 侵入者は武器を向けられて焦った様子もなく、のんびりとしたやり方で言葉を発する。
「君ら、東に行きたいんだろう? 魔法について知りたいんだろう? どうだ、俺の弟子にならないか? ただし、」
 やはり灰色の手袋に覆われた右手を持ち上げ、人差し指を立てる。
「先着一名様のみだが。あいにく俺には二人分も世話する甲斐性はないんでねえ」
 ネロウの呼吸が浅くなる。額には冷たい汗が流れた。
 弟子になるか、だと!? こいつ、もしかして――!
「ん? 悪い話ではないだろう? 魔法使いである俺の弟子になって修行できるんだ、な? それに君たちのお友達のパレットだったか、彼女も救ってあげられるかもしれないぞ?」
「あなたは知っているんだな、全て」
 ヒコサの声だ。若干震えてはいるが、堂々としている。
「彼女の心はどこに行ったんだろうねえ? 俺についてくれば、見つけることもできるかもしれないねえ」
 侵入者の表情は一切見えない。何を考えているのかさっぱりわからない。本気なのか? 本当に奴は魔法使いで、俺たちのうち一人を弟子にしようと考えているのか? ついていけば、パレットの心を取り戻すことができるのか?
「ということはつまり、パレットは今、パレットの本当の心を持っていないということなのか?」
「どうだろうねえ。さっき君自身が言っていたように、外から眺めるだけじゃ確認することはできないからねえ」
「とぼけるな!」
 ヒコサが声を張る。
「知っているならここで吐け! 知らないならいい加減なことを言うな! 従わないなら、あなたを――!」
 侵入者はゆっくりと両掌をヒコサに向けた。
「怒らせちまったか。まあ、待てよ。本当のことを話してやるから。と言って、今までも嘘を言っていたわけじゃないんだけどねえ。とにかく落ち着け。武器を手放せ。お座りな。そうしたら、俺が知っていることを話してやるよ。その上で交渉しようじゃないか」
 ネロウとヒコサは顔を見合わせた。数秒はそうしていただろうか、やがてどちらともなくうなずいて、手にしていた武器を床に置き、それぞれ椅子とベッドに腰をかけた。
 聞いてから判断しても遅くはない。
「言うとおりにしてくれて感謝する。じゃあ、まずは聞いてくれよ」
 侵入者の話が始まった。
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